大津地方裁判所彦根支部 昭和57年(わ)108号 判決 1983年11月17日
主文
被告人川本喜一を懲役二年六月に
被告人大橋正を懲役三年六月に
それぞれ処する。
未決勾留日数中被告人川本喜一に対しては二七〇日、被告人大橋正に対しては二六〇日を、それぞれその刑に算入する。
本件公訴事実中昭和五八年三月一二日付起訴状別表番号2、3、4の各窃盗の点については、被告人大橋正は無罪。
理由
(罪となるべき事実)
第一 被告人両名は
一 共謀のうえ、別紙犯罪行為一覧表(一)記載のとおり、昭和五七年九月二三日から同年一〇月四日までの間、一四回にわたり、他人の賍物を窃取した
二 韓義男、金泰奉、西山恵一郎と共謀のうえ、同年九月七日午前一時四〇分頃、京都市下京区高辻通柳馬場西入る泉正寺町四五二番地京呉服卸梅戸株式会社において、梅戸哲男管理にかかる反物本場大島紬等一二一一点(時価合計約三六八六万四〇五〇円相当)を窃取した
三 共謀のうえ、金品を窃取する目的で
1 同年一〇月三日午前一時三〇分頃、大垣市赤坂町一七七四番地清水工業株式会社清和荘駐車場において、同所に駐車してあつた加藤正義所有の普通乗用自動車内ダッシュボード等を物色したが、金品を発見できなかつたので、
2 同月四日午前一時頃大垣市外渕二丁目六六番地外渕団地C棟南側駐車場において、同所に駐車してあつた鈴木雪春所有の普通乗用自動車内コンソールボックス等を物色したが、金品を発見できなかつたので
それぞれその目的を遂げなかつた
第二 被告人大橋正は
一 別紙一覧表(二)記載のとおり、同年八月二〇日より同年九月三〇日までの間、六回にわたり、他人の財物を窃取した
二 韓義男、金泰奉と共謀のうえ、同年九月一日午前二時四〇分頃、京都市上京区中立売通り松屋町西入る新白水丸町四六二番地イヌイ星の子ハイツ二階「西陣太田」の店舗において、太田太三郎所有の反物男物大島チラシア層ンサンブル等一〇四反位(時価合計約一四七万八九〇〇円相当)を窃取した
三 金品を窃取する目的で、同年八月二日午前一〇時頃、大垣市今福町一七三番地伊藤真明方一階寝室において、整理ダンス引き出し等を開けるなどして室内を物色したが、金品を発見できなかつたので、その目的を遂げなかつた
四 金品を窃取する目的で同年九月二七日午前四時頃、東京都中野区新井一丁目七番二号株式会社よね屋呉服店裏側便所窓の木製さんを壊して故なく同便所内に侵入した
五 同年八月二八日午後一〇時三〇分過ぎ頃、大垣市島里一丁目八七番地大垣市役所洲本支所前路上に駐車中の自動車内において、鈴木こと金京一から、同人がさきに同市内原一丁目一八八番地の一株式会社小林モーターズ名神大垣インター給油所から窃取してきた現金五〇〇〇円を、それが盗んだ金であることを知りながら貰い受け、もつて賍物を収受した
第三 被告人川本喜一は、同年九月三〇日午前一一時過ぎ頃、岐阜県不破郡垂井町表佐二〇七三番地の一多賀礼次郎方東側空地において、大橋正から、同人が他から窃取してきた普通乗用自動車一台(時価約一〇〇万円相当)を、それが盗んだ品であることを知りながら貰い受け、もつて賍物を収受したものである。
(証拠)<省略>
(累犯前科)<省略>
(法令の適用)<省略>
(一部無罪の理由)
一本件公訴事実中昭和五八年三月一二日付起訴状別表番号2、3、4の各窃盗の点は、
被告人は
(一) 昭和五七年八月二二日午前二時頃、大垣市笠木町四三九番地辻正隆方において、同人所有の現金九二〇六円、財布一個(時価約二〇〇〇円相当)、手提袋、扇子、メモ帳、スポーツバック各一個を窃取し
(二) 同月二三日午前二時頃、同市平町一八番地香村弥太郎方において、香村よしえ所有の現金六三四四円、手提鞄一個(時価約五〇〇円相当)、財布一個(時価約五〇〇円相当)、印鑑一個(時価約二〇〇円相当)、眼鏡一個(時価約一万円相当)を窃取し
(三) 同月二九日午前三時頃、同市静里町五六七番地の八冨岡修一方において、同人所有の現金六〇〇〇円、男物腕時計一個(時価約五〇〇〇円相当)、女物腕時計一個(時価約一万円相当)を窃取し
たものである
というのであるが、被告人は、当公判廷において、右各犯行を否認し、捜査機関に対する自白は、当初取調にあたつた司法警察員から執拗な追求を受けたため迎合的になした虚偽のものである旨供述した。
これら三件の各被害事実は、辻君子、香村よしえ、冨岡修一作成の各被害届によつて明らかに認めることができるが、被告人大橋がその犯人であるか否かについては、同被告人の自白調書(司法警察員に対する昭和五八年一月一二日付、同月一三日付各供述調書、検察官に対する同年三月一一日付供述調書)及び司法巡査川瀬利弥、司法警察員川添力共同作成の同年一月一二日付捜査(引き当て)報告書の信用性を判断しなければならない。
二そこでまず捜査の経緯につき証拠を検討するに、証人川添力、同雨森裕和、被告人大橋の当公判廷における各供述を総合すると次の事実を認めることができる。
被告人大橋は、昭和五七年一〇月四日、自動車窃盗の容疑で逮捕されて以来窃盗等の被疑事実につき取調を受け、同年九月から一〇月にかけての判示犯行について自白したが、当初同被告人の取調に当つた司法警察員巡査部長川添力は、同被告人が同年七月末に刑務所から出所したとき五万円位の現金しか持つておらず、その後全く稼働していないところから、八月中も九、一〇月中と同様の窃盗によつて出所後一か月間の生活費と遊興費をまかなつていたものと推測し、同年一一月一九日頃京都市に引き当て捜査に行つた際、帰りの車中で同被告人に対し八月にも盗みをしているのではないかと尋ねたところ、大垣市のユニチカの社宅で窃盗をした旨の供述をはじめたので、彦根警察署に戻つたのちさらに詳しく取調べた結果、同年八月二日大垣市今福町一七三番地伊藤真明方における窃盗未遂(判示第二の三)と同月二〇日同市木戸町一〇〇〇番地ユニチカ社宅寮における窃盗(判示第二の一別表番号1)につき自白を得た。そこでただちに岐阜県警察本部に照会したところ右ユニチカ社宅寮における窃盗の自白に符合する被害届が出ていることが判明した。これに力を得た川添巡査部長は、八月中にもつと窃盗をやつているにちがいないとの見込のもとに翌二〇日同被告人をさらに追求すると、はじめ否認していた同被告人が「大垣市内でユニチカ社宅寮における窃盗と同様の窃盗をその頃ほかにもやつているかも知れない」と供述するにいたつた。しかし、それ以上具体的な供述がどうしても得られないところから、同巡査部長は、岐阜県警察本部から取寄せた同年八月中の大垣市内の空巣、忍込み窃盗被害通報票数通を同被告人に示し、その中から自分がやつたものを選び出すよう求めたところ、同被告人が前記三件を含む四件の被害通報票を選び出したので、同年一一月二四、二五の両日右四件及び前記伊藤真明方、ユニチカ社宅寮の引き当たり捜査に赴いた。ところで右被害通報票には被害の日時、場所、被害者氏名、手口、被害金品などのほか被害場所の見取図も記載されており、見取図には近くの目印(目標)になる建物等の表示によつて被害場所の位置がわかりやすく図示されている。同被告人は引き当たり捜査以前にこの被害通報票を何度も見せられていたうえ、引き当たり捜査には市販の大垣市内の地図のほか右被害通報票をも携行した。前記三件の被害場所のうち、笠木町は同被告人が幼児期から一八、一九歳頃まで住んでいた町であつて充分地理に明るいし、静里町は被害通報票の見取図に表示されてある目印のタクシー会社を同被告人が以前から知つていたし、平町では被害場所の近くまで行きながら当該家屋が見つからなかつたのでたまたま通りかかつた郵便集配人に被害者方を教えてもらつている。こうして川添巡査部長ら三名の捜査員は同被告人とともに右三件の被害現場に赴き、同被告人に侵入方法等を指示させ引き当たり捜査を終えた。なお同被告人が被害通報票を選び出したもう一件については、当該被害場所まで行つたものの犯行を否定したので、結局引き当たり捜査は行なわなかつた。その後川添巡査部長は同年一二月終頃まで同被告人の取調を担当したが、別件捜査にまわるため司法警察員巡査部長雨森裕和と交替したので、同巡査部長が同被告人の前記三件の自白調書を作成した。
以上の認定事実に添わない証人川添力の供述部分は措信できない。
三ところで、証人川添力は、刑務所を出るとき五万円位しか持つておらず、その後稼働していない筈なのに八月中の遊びの金や酒代をどうしてつくつたのかと予盾点を突いて取調べた結果、被告人大橋から前記三件の自白を得た旨供述しているが、同被告人は刑務所から出て、そのまま実家に戻つているのであつて、同被告人の司法警察員(川添力)に対する昭和五七年一〇月一一日付供述調書によれば、同被告人は、同年八月中は両親から小遺いを貰つていた(証人大橋二三の当公判廷における供述がこれを裏付けている)と述べていたのであり、川添証人自身も同被告人から同年八月中の犯行としてさい銭盗一〇件位の自供を(前記三件の自白の前に)得ていた旨証言しているのであるから、稼働していないからといつて遊興費等の資金の出所がないわけではなく、したがつてまた前記三件の自白にいたる追求的取調は、決して予盾点を突きながらなされたものとはいえない。
四さらに前記認定事実によれば、川添巡査部長は、被告人大橋から犯行の具体的な供述が得られないことから、多数の被害通報票を示してその中から自己の犯行を選び出させ、大垣市内の地理に明るい同被告人に見取図が記載されている被害通報票を見せたうえ被害場所に案内させて引き当たり捜査をなしているのであつて、このような被害通報票にもとづく引き当たり捜査の結果が被害届に合致するのは当然であり、引き当たりは自白の真実性を検証する捜査たりえない。
司法巡査川瀬利弥、司法警察員川添力共同作成の昭和五八年一月一二日付捜査(引き当て)報告書には、被告人大橋が前記伊藤真明方における窃盗未遂、ユニチカ社宅における窃盗のほか前記三件につき「今年(五七年)の八月二二日ごろ大垣市笠木町内の民家に忍込み、現金等が入つた手提げバックやスポーツバッグを盗んだ。同月二三日ごろ同市平町内の民家に忍込んで、現金等が入つた手提げバックを盗んだ。同月二九日ごろ同市静里町内の民家に忍込んで、現金や腕時計を盗んだ。盗みに入つた家は全部覚えているので案内できる」と自供したので、その裏付捜査のため同年一一月二四日と二五日の両日同被告人に現場案内をさせたところ、前記三件のうち笠木町の民家忍込みの件については「大垣市笠木町四三九番地辻正隆方に案内し、同人宅裏勝手口を指示し、ここから家の中に入り、現金の入つていたバッグ等を盗んだ、と説明したので被害事実の有無について捜査したところ、昭和五七年八月二一日午後一〇時ごろから翌二二日午前六時ころまでの間に居間に置いていた現金入りのバッグが盗まれており、既届事件であることも判明した」、平町の民家忍込みの件については「大垣市平町一八番地香村弥太郎方に案内し、同人宅の勝手口を指示し、ここから中に入つて盗みをした、と説明したので、被害事実の有無について捜査したところ、昭和五七年八月二二日午後九時ごろから翌二三日午前六時ごろまでの間に現金入りの手提げカバンが盗まれており、既届事件であることも判明した」、静里町の民家忍込みの件については「大垣市静里町五六七の八冨岡修一宅に案内し、同人宅裏勝手口を指示し、ここから中に入つて現金六〇〇〇円位、腕時計二個を盗んだと説明した。同人宅が不在であつたことから所轄の大垣警察署に赴き、届出の有無を確認したところ、冨岡修一が昭和五七年八月二九日に届出した被害届(被害品現金六〇〇〇円位、腕時計二個)を確認できた。さらに同署において、前記引き当たりの各窃盗被疑事件についても被疑者の自供する犯行日時場所、被害品、犯行の状況などが被害者の申告と一致するところから被疑者の犯行と確認し」た旨記載されている。この記載のとおりであれば、引き当たり捜査はまさに被告人の自白の真実性を裏付けるものであるが、真実は、前記認定のとおり、捜査機関には被害通報票の取寄せによつて事前に被害事実が判明しており、右被害通報票にもとづいて自白と引き当たり捜査がなされているのであつて、この肝心の点を伏せている右捜査報告書の記載は事実に反するものといわなければならない。
五また、犯行の手口の面から考察すると、前記三件はいずれも民家に対する深夜の忍込みである。ところが被告人大橋の民家に対する判示窃盗、同未遂の犯行は殆ど昼間であり、夜間の窃盗は、屋外の自動車盗、車上狙いや工場事務所、学校等夜間には人気がない事業所等に限られている(判示第二の四は例外であるが、これは多数の窃盗共謀者との計画にもとづく犯行であるから被告人大橋自身の手口とは認められない)。その理由につき、同被告人は、当公判廷において、民家の場合午前八時以降に留守の家が多いからと述べているし、弁第三号証及び同被告人に対する昭和五六年一月二〇日宣告大垣簡易裁判所判決書謄本によれば、本件直前の前科である二一件の民家における窃盗、同未遂はすべて昼間すなわち一件が午後二時二〇分頃、その余が午前七時四五分頃から午前一一時二〇分頃までに集中していることが認められる。勿論同被告人の過去の多数の窃盗のなかには深夜民家に忍込んだものもあることを同被告人自身認めているが、大垣市内では深夜自転車に乗つていても歩いていても警察官に顔を覚えられているので怪しまれるおそれがあるところから、夜間の窃盗は避けている旨当公判廷で供述しており、同被告人が昼間を選ぶ理由として述べるところは、いずれも首肯するにたる。してみると、前記三件は、手口の点で同被告人の犯行とは認めがたいものがある。
六被告人大橋は、捜査官に対して前記三件を自白した理由として、川添巡査部長から執拗に追求されたことのほか、調べが長びくと思いはやく済ましてもらいたかつたこと、取調官が熱心にやつてくれていたこともあり、毎日取調官との間で気まずい思いをしたくなかつたこと、取調官が雨森巡査部長に変つたときも、取調官は急いでいたようで、忙しそうだつたし、無理して川添巡査部長が雨森巡査部長に頼んで事件の申し送りをしているのだから、取調官が変つたからといつて自白をひるがえすようなことは言えなかつたこと、検察官の取調に対しては本当のことを言おうかと迷つたが、結局警察で調べられたあとなので、今さら言つても仕方がないと思つたことなど当時の心境を当公判廷で供述しているが、昭和五七年一〇月四日の逮捕以来拘禁中長期間にわたつて同一取調官(川添巡査部長)から連日取調を受けた被疑者の心情として、同被告人の述べるところは理解できないわけではなく、被告人の気の弱さ、逃避的性格、前記三件が本件公訴にかかる多数窃盗被告事件のごく一部にすぎないこと、同被告人の当公判廷での供述態度等をあわせ考えると、同被告人の前記三件についての否認の弁明をたんなる言いのがれとして一概には排斥しがたい。
七以上のとおり、本件公訴事実中の前記三件については証拠上合理的な疑いがあり、他にこの疑いを超えて右公訴事実を認めるにたりる証拠はない。
よつて前記三件の公訴事実は犯罪の証明がないものとして刑事訴訟法三三六条により無罪の言渡をする。
(梶田英雄)
犯罪行為一覧表(一)、(二)<省略>